2020年の抱負

2020年になりました。

誰にも求められてはいませんが、7年ぶりにブログを更新しようと思います。

最初の記事を書いたのは2011年3月のこと。

当時は、筑波大学の人文社会科学研究科文芸・言語専攻のアメリカ文学研究室のプロジェクトに雇用されていました。

この記事は、建物が波打つように揺れ始め人社棟から避難するところで終わっていますが、その続きは書かれることがなく9年の時が経過しています。あの時、つくばもひどく揺れましたし、翌日もつくばから出ることはできませんでしたが〈なにを感じたか〉という細かい部分はすっかり忘れていました。

記事を読み返してみると、こんなことを書いていました。

部屋の窓は開いたままで、窓の外に見えるモミの木が不気味に左右に揺れいた光景が目に焼き付いている。 

命の危機を感じながらも、窓から見えるもみの木が揺れる様子が気になったり、避難のために駆け下りる階段で手に持っていたメロンパンを食べたりするんだなあ。

私のような人間は、細かく記憶しておかないとすべてを忘れてしまうと痛感したのがもう一度ブログを書こうかと思った理由です。

例えば、シンガポールのドミトリーでの出会いから移住について考えたこの記事の元になったエピソードも忘れていました。

 さて2020年もまだま路の途上です。

基本的に来るものは拒まずで仕事をしていますが、今年もその方針は変わらないと思います。まあ実際のところ、零細研究者なので頼まれる仕事自体も少ないので断る理由はない。ただし、きちんとしたスケジュール管理と交通整理をする能力があってこそだと思うで、今年の目標としては己の能力を過信することなく、能力以上に引き受けた結果体調を崩すということがないようにしたいと思います。なにがなんでも健康第一。

特に今年頑張りたいのは以下の通り。

  • 止まったままの単著出版企画を動かす
  • 〆切厳守で原稿を提出する(あたりまえ)
  • マレーシア調査にいく(2回は行きたい)
  • 英語の論文を書く

今年もどうぞよろしくお願いいたします。 

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写真:マレーシア・イポー

5月の鑑賞まとめ

5月の鑑賞メーター
観たビデオの数:4本
観た鑑賞時間:500分

マルコムX [DVD]マルコムX [DVD]
授業準備のため20年ぶりに鑑賞。あの頃は理解できなかった点も多かったけど、今観ると感慨深い。なによりマルコムがオマハ生まれだったことに縁を感じた。私にとってもブラックパンサー党を知り、アフリカン・アメリカンデーで食文化に触れたのは白人系住民がマジョリティの中西部クリスチャン・ベルトのネブラスカだったから。映画は、全力投球でマルコムの精神的変化を演じるデンゼル・ワシンンが素晴らしい。それから、周りの雰囲気でNation of Islamの運動に参加する大衆の描き方も秀逸。
鑑賞日:05月23日 監督:スパイク・リー

フード・インク [DVD]フード・インク [DVD]
映画は、政府と食品業界の密接なつながりを暴露する。原価割れしながらも政府補助金で格安に販売される食品。ファストフード業界の興隆により均質化され大量生産される食品の数々。トウモロコシの汎用性に驚く。
鑑賞日:05月20日 監督:ロバート・ケナー

歌え!パパイヤ [DVD]歌え!パパイヤ [DVD]
久しぶりに引っ張り出して鑑賞。シンガポール映画界の売れっ子監督たちは、モダンなシンガポールの生活における小さいけれど人々が大事にしているもの、心の琴線に触れるノスタルジックなものを拾い集めてストーリーを紡ぐ技術に長けているなあといつも感心する。
鑑賞日:05月11日 監督:

再会の食卓 [DVD]再会の食卓 [DVD]
原題は《團圓》。1949年に中華人民共和国が成立し、国民党兵士として台湾に敗走した男性と中国に残された身重の妻。そして残された彼女と結婚した元共産党兵士の夫。87年から開始された帰郷団事業で台湾から上海へやって来た元夫を迎える夫婦とその家族の物語。家族より張り切って台湾からの客人をもてなす街道委員会のおばちゃんや上海の下町の様子、共同厨房などの描写が面白い。ただ、カメラワークが好みではなかったなあ。
鑑賞日:05月07日 監督:ワン・チュエンアン

鑑賞メーター

その他にシンガポール国際映画祭で『12Lotosu』(ロイストン・タン/2008)、『15: The Movie』(ロイストン・タン/2003)、『素晴らしき大世界』(ケルビン・トン/2010)、『青い館』(グレン・ゴーイ/2009)を鑑賞。映画祭で購入した『Old Places』を鑑賞したらまたメモを残すことにする。

5月の読書まとめ

5月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1205ページ
ラピスラズリ (ちくま文庫)ラピスラズリ (ちくま文庫)
読了日:05月24日 著者:山尾 悠子

ビルマ商人の日本訪問記 (別世界との出会い 2)ビルマ商人の日本訪問記 (別世界との出会い 2)
読了日:05月15日 著者:ウ フラ

継母礼讃 (モダン・ノヴェラ)継母礼讃 (モダン・ノヴェラ)
読了日:05月15日 著者:M. バルガス・リョサ

家 上 (岩波文庫 赤 28-1)家 上 (岩波文庫 赤 28-1)
読了日:05月15日 著者:巴金

家〈下〉 (岩波文庫 赤 28-2)家〈下〉 (岩波文庫 赤 28-2)
読了日:05月15日 著者:巴金

読書メーター

作られる〈美しさ〉という価値観、社交場としての床屋と美容室:スパイク・リー 『マルコムX』 (1992)

スパイク・リーの『マルコムX』を観た。

マルコムX [DVD]

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授業の準備のために実に20年ぶりに鑑賞。いろんな点で面白かったのだけど、一番気になったのはアフリカン・アメリカンと髪をめぐる問題。以下の雑文は自分のためのメモ書き。

映画『マルコムX』の前半では、縮れ毛を懸命もストレートにしようとする若き日のマルコムの描写が繰り返し登場する。これは意図的に挿入されるエピソードで、縮れ毛をあるがままに受け入れるようになるところから運動家としてのマルコムの人生が始まる。

映画におけるマルコムのエピソードは、床屋に集う年寄り連中にからかわれながらも肝試しのように初めての縮毛矯正をおこなうシーンから始まる。縮れ毛を直毛に矯正する縮毛クリームは、頭皮に強い刺激を与える。頭に塗り付けてしばらく置くと、焼け付くような痛みを伴い頭皮を刺激する。それが目に入れば痛みはさらに倍増するわけだが、マルコムも初めこそ何でもないさと強がるが、途中からカット台にじっと座っていることもままならないほど染みはじめ、洗い落としてくれと大騒ぎをする。その様子を年寄り連中はひとしきり笑う。しかしクリームを流した自分の髪の毛はまるで「白人のように」真っ直ぐで、マルコムは鏡に映る自分の姿にうっとりするのだった。

次の縮毛矯正エピソードは、ハーレムからボストンに戻り泥棒稼業に身を落としたマルコムが、盗みに入った家で縮毛矯正クリームを頭に塗るというもの。しばらく放置したクリームを洗い流そうと台所のシンクに頭を突っ込むが、さて水が出ない。他の蛇口をひねるもやはり水が出ない。そうするうちにクリームが頭に染みて居ても立ってもいられない。やむなく便器に頭を突っ込んでクリームを洗い流していると警察が到着してマルコムたちは御用となる。

前半最後に出て来るエピソードは刑務所に収監されたマルコムが、新入りいじめに耐え抜き独房からやっと出て来て久しぶりにシャワーを浴びるシーン。やっと真っ暗な独房から出てきて一番に行うのが縮毛矯正なのである。その様子を見ていた囚人仲間で熱心なイスラム教徒のべインズに「白人のように髪を真っ直ぐして、情けなくないのか」と一喝される。この出来事を契機に彼の人生は大きく転換することになる。『マルコムX』という映画の前半において表象されるマルコム・リトルは、このように縮れ毛を「白人のようにストレートにすること」という価値観にとらわれた青年として描かれている。

このアフリカン・アメリカンの「コントロール不能で厄介な縮れ毛」をストレートヘア矯正することへの熱意は、〈白人のように美しい〉という価値観と強固に結びつく。頭皮が燃えるように痛む強い薬液を頭に塗り、我慢に我慢を重ね、彼らは〈美しさ〉を求めるのである。映画では、彼らがこの価値観を無批判に受け入れてきたことを文化的植民地主義として表象し、刑務所で学びの機会を得たマルコムはこの精神的な飼い慣らし状態を自省し、刑務所内の床屋でその髪を短く刈り込むことにするのである。

1960年代以降の黒人公民権運動の興隆と共に、ありのままのアフロヘアは美しいものとして受け入れられるようになる。アフロヘアの活動家にはアンジェラ・デイヴィスなどもいる。しかし、現在でもストレートヘアこそが美しさのしるしであるとするオブセッションは廃れてはいない。例えば、この女性誌ELLEに掲載されたロレアルの広告の写真にも作られた美しさへのオブセッションを看取できる。この広告のビヨンセの肌はフォトショップで白く加工され、髪も輝くツルツルのストレートヘアなのだ。

コメディ俳優のクリスロックが制作した『Good Hair』という映画は、アメリカの美容業界とアフリカン・アメリカン女性の搾取的構造関係を理解するのに良い作品。

Good Hair [DVD] [Import]

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アメリカのヘアケアグッズの8割以上はアフリカン・アメリカン女性が購入するのだという。ストレートヘアにエクステンション、編み込みなど、どれをとってもお金が掛るヘアケアが〈美しさ〉という価値観と結びつき、〈洗練された女性〉のたしなみとなる。そういえば、ネブラスカ時代の友人でブルンジ出身の難民女性は、ブルンジからの出国をサポートした教会の信者によるカンパで200ドルを給付されたが、それを全部使って編み込み(cornrow braids)をしたことに信者たちが激怒して返金するようにと怒られていたっけなあ。
cornrow braidsとはこんな髪型

アフリカン・アメリカンの映画では、バーバーやビューティーショップが頻繁に登場する。『マルコムX』でも冒頭のシーンは髪を切るために床屋に来たわけではなさそうな年寄り連中が登場するし、クイーン・ラティファ主演の『ビューティー・ショップ』という映画でも美容室には弁当売りが来て店内は食堂のようにもなるし、無駄話が展開される喫茶店のようにも変化してたっけ。

実際、髪にこれだけのエネルギーを費やすアフリカン・アメリカンにとって、バーバーやビューティーショップで過ごす時間は相当な物なのだろうから、これらの場所が重要な情報交換の場であり、社交場にもなるのは当然のことだと思う。私自身、アメリカの片田舎でアニーのようなボリュームパーマをかけて欲しいとお願いしたら「真っ直ぐなのにいいの?」と言われたことがあるし、マレーシアのマレー系ビューティーショップで縮毛矯正施術を受けて大変なことになった苦い記憶があるけれど、あれもまた面白い経験だったと今は思う。いつか機会に恵まれたら、ビューティーショップをフィールドワークしたいなあ。

巴金の『家』を読む

巴金の『家』を読んだ。

家 上 (岩波文庫 赤 28-1)

家 上 (岩波文庫 赤 28-1)

『家』は、巴金の自伝的小説らしいのだが、淡々と大晦日や正月の儀礼の様子や日常が描写されているので、1919年の資産階級の大家族の民族誌として読んでも結構面白いと思う。
例えば、この時代、子どもの養育は乳母がするものという規範が一般的だったようだ。が、主人公の兄は、子どもを溺愛し妻に授乳をさせ、乳母を雇うことはしなかった。その行為は人に噂され、陰口が叩かれることも耐えなければならないほど「常識はずれ」のものだった。

この子を熱愛するために、乳母を雇って乳をやる気がせず、妻に自分で育てさせたが、さいわいに妻の乳は十分に出た。こうしたことは、この紳士の家庭でははじめてのことだったので、何とか人の口はうるさかったが、彼はそれを忍んで、この子の幸福のためにこうするのだと、自分で固く信じていた。(52)

また、思った以上に母方親族や婚出した姉妹の子どもとの日常的交流がある点も面白い。主人公の三兄弟は、母方イトコ(表妹)と許されぬ恋をして、また父の妹の娘と共に最先端の思想を語り合ったりする。婚出した後も生家との頻繁な往来は絶えない。やっぱりそういうものなのだ。

晦日の拝神の様子

 祭主は克明である。高老太爺が自分がもうたたいそう年をとっているという理由で、息子にこの仕事を譲ったからで、自分はいっさいの準備ができてから出て来て先祖に拝礼を行い、それから子や孫からの拝賀を受けるのである。長い上衣に馬褂をつけた礼服姿の克明と、彼の四弟克安は、おのおの酒壺をさげて小さい杯の中に紹興酒を注ぐ。そして香炉に香も焚く。それから克明が部屋へ老太爺を迎えに行く。
 老太爺が出て来ると、堂屋の中はシーンと静まり返って、誰一人談笑する者もいない。克明が連発花火を命じる。下僕の蘇福がかしこまって急いで出て行き、大きく開いた中門の前で「花火を上げろ」と怒鳴る。火光一閃、連発花火が雷鳴のように轟わたる。女たちは側面から身を避けて外へ出る。男たちは供え物の卓の傍にいって立つ。老太爺から先に、外に向かって叩頭がはじまる。天地を拝する礼である。つづいて克明三兄弟が一列になって叩頭する。このとき覚新は香を炊き、外から竈の紙を迎え入れて厨房ヘ送ってから、ちょうど堂屋にひき返して来て、覚民、覚慧、覚英、覚群の五人の弟を一列に引率して拝礼する。そしてみな身をひるがえして内側に向かって立つと、外でこの有様を見ていた女たちがいそいではいって来る。
 やはり老太爺から先祖に対する叩頭がはじまる。老太爺が叩頭してはいってゆくと、つづいて大太太周氏、次は克明、さらにつづいて三太太張氏、こうして順々に、呉太太沈氏のあとが陳姨太と、これらの人々は悠揚迫らず叩頭し、半時間以上が空費される。それから覚新の世代の番になる。覚新が五人の弟を引率して叩頭する。彼らはもっとも多く、九回頭を下げなければならない。こうした拝礼は年一回なので、みんな慣れていない。それで一せいにそろってひざまずいたり、立ち上がったりすることはむずかしい。動作がやや緩慢な覚群と覚世はやっとひざまずいて三回叩頭せぬうちに、他の者は立ち上がる。そこで彼らはあわてて立つと他の者はもうひざまずいているという有様で、傍に立っている者がくすくす笑う。彼らの母四太太王氏は傍で絶えず彼らをうながす。こうした笑いの中に九個の頭が早々に叩頭を済ましたが、こうした若い連中のは、長輩の叩頭とは同じにはいかなかった。つづいて瑞珏がまた淑英、淑華、淑貞三姉妹を引率して紅い絨毯のところへいって拝礼する。彼女たちの動作はゆっくりだったが、比較的そろっていた。それが終わると瑞珏はまた海臣を連れて紅い絨毯のところで叩頭の礼をした。
 そこで下僕たちが拝礼用の敷物をとり除き、紅い絨毯だけしくと、克明がまた老太爺を請じ入れて、克明の世代の男女が彼を囲んでひざまずいて叩頭しその安泰を祈る。それから覚の字のつく世代と淑の字のつく世代の、つまり孫たちの拝賀を受ける。彼は満面笑顔で礼を受けてから自分の部屋へ帰ってゆく。
 老太爺が去ると、堂屋はまたにぎやかになる。克の字のつく世代が、周氏に導かれて半円になり、紅い絨毯の上でお互いに拝賀し合う。覚の字のつく世代と、淑の字のつく世代は分散して、別々に自分の父母、あるいは伯叔父母に向かって拝賀を行う。最後に周氏の提議で彼らは環になって拝礼し合い、お祝いの言葉をかわすが、これは決して祝賀ではなく、冗談も交じってしまう。こうした礼拝ののち、若い者たちはそれぞれ散ってゆくが、覚新夫婦だけはとどまって、長輩たちといっしょに、召使たちの拝賀をうけなければならない。(157-159)

2012年度が始まって1ヶ月

熱帯性感染症騒動から約1ヶ月が経過した。
診療は終了し、海外保険も無事に降りて一件落着のようだが、実のところ全快という感じでもなく、疲れるとあの関節痛が戻ってくる。特に手指の関節痛は未だに残っていて、数値には出ないけれど何かの熱帯性感染症なんだろうなという気がしている。だって明らかにシンガポールの宿で虫に刺されてから不調なんだから。とはいえ、日常生活にさほど問題はないのでこのままやり過ごすことにする。夏がくれば良くなるだろうか(根拠はない)。

2012年度もはや1ヶ月が過ぎ、自転車操業の日々が続いている。ゴールデンウィーク前半で立て直さなければならない。授業準備の貯金もしておきたいし。あと論文。それから論文。寝ないで論文(涙)。

熱帯性感染症騒動記3:真実の痕跡を追い求めて

まだ続いています。

3月2日に病院で診療してもらった際、痛む関節の様子を見てみる必要があるだろうというので、予約が取れる6日にMRIを撮影することになった。
MRIでは全身をくまなく撮影できるわけではないようで、痛む箇所を一つ撮影するということになった。2日の時点では全身が同じように痛むので「どこか一箇所を選べ」と言われても選びようがなく、それならば左手で…といういかにも消極的な理由から左手のMRI撮影の予約を入れることになった。

撮影日を前にしてすでに症状は軽くなっていた。手が浮腫んで張る感じも解消し、関節の痛みもなくなりつつあった。撮影日前日にはすっかり痛みがない状態で、本当にMRIを撮影する必要があるのだろうか?と不安にもなったし、医師に申し訳ない気持ちにもなった。MRIは20分程度で終了した。この日は撮影だけなので放射線科で作業を終えたらそのまま帰るものと思いきや、撮影の途中で渡航医療センターのもう一人の医師が様子伺いに来てくれた。造影剤の注射を担当したのは前回の治療の際に同席していた研修医?らしき若い方だった。痛みがもうあまりないことを告げると「治癒することが一番大事ですから、それは本当に良かった」と笑顔で言ってくれた。

そして12日、前回採血した血液・尿の検査結果報告を聞きに行った。まず、MRIによる画像診断の後、関節の腫れの痕跡が見られることと水がたまっている様子が確認されたことが報告された。前回簡易キットでチクングニア熱の陽性反応が出たため、血清は国立感染研に送られて精査されたのだが、結局のところチクングニアウィルスは発見されなかったそうだ。可能性が高まったのは、パルボウィルス感染だという。つまりりんご病だったということらしい。
前回の簡易キットでチクングニアの陽性反応が出たのは、チクングニアとパルボウィルスの構造が類似するからだそうで、これを偽陽性というらしい。もう何が何だかわからない。さらに難しい説明は続く。
風疹のIgMはマイナス、膠原病、リウマチも問題なし。ただ、パルポウィルスのIgMが8.07と高いというので、再度採血をしてパルボウィルスに感染していたかどうかを検査するのだそうだ。

体調がすっかり良くなった今、原因ウィルスの特定については正直なところどうでもいいような気がするのだが、医師としてはそうはいかないようだ。今回の血液検査でパルボウィルス感染の痕跡が確定すれば通院も終了するようだが、そうでない場合は検査対象を広げて原因の追及作業がまだ続くのだろうか。医師が行う様々な検査(血液検査、画像検査など)は、あたりを付けた診断という<真実>を確認するための追認作業のようだ。ある<真実>が体内に残した痕跡を最新技術によって可視化させ、白日のもとに晒すことによって初めて病気は治癒されたと認識されるのだろうか。私の治癒のイメージとはだいぶ違って面白い。
というわけで、とりあえず熱帯性感染症騒動記はこれにて終了。

リンゴ病は発疹が収まった時点で感染力がなくなったと考えられるそうなので、現時点では私の中には感染させるほどのウィルスは存在しないと思われます。ご安心を。