作られる〈美しさ〉という価値観、社交場としての床屋と美容室:スパイク・リー 『マルコムX』 (1992)

スパイク・リーの『マルコムX』を観た。

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授業の準備のために実に20年ぶりに鑑賞。いろんな点で面白かったのだけど、一番気になったのはアフリカン・アメリカンと髪をめぐる問題。以下の雑文は自分のためのメモ書き。

映画『マルコムX』の前半では、縮れ毛を懸命もストレートにしようとする若き日のマルコムの描写が繰り返し登場する。これは意図的に挿入されるエピソードで、縮れ毛をあるがままに受け入れるようになるところから運動家としてのマルコムの人生が始まる。

映画におけるマルコムのエピソードは、床屋に集う年寄り連中にからかわれながらも肝試しのように初めての縮毛矯正をおこなうシーンから始まる。縮れ毛を直毛に矯正する縮毛クリームは、頭皮に強い刺激を与える。頭に塗り付けてしばらく置くと、焼け付くような痛みを伴い頭皮を刺激する。それが目に入れば痛みはさらに倍増するわけだが、マルコムも初めこそ何でもないさと強がるが、途中からカット台にじっと座っていることもままならないほど染みはじめ、洗い落としてくれと大騒ぎをする。その様子を年寄り連中はひとしきり笑う。しかしクリームを流した自分の髪の毛はまるで「白人のように」真っ直ぐで、マルコムは鏡に映る自分の姿にうっとりするのだった。

次の縮毛矯正エピソードは、ハーレムからボストンに戻り泥棒稼業に身を落としたマルコムが、盗みに入った家で縮毛矯正クリームを頭に塗るというもの。しばらく放置したクリームを洗い流そうと台所のシンクに頭を突っ込むが、さて水が出ない。他の蛇口をひねるもやはり水が出ない。そうするうちにクリームが頭に染みて居ても立ってもいられない。やむなく便器に頭を突っ込んでクリームを洗い流していると警察が到着してマルコムたちは御用となる。

前半最後に出て来るエピソードは刑務所に収監されたマルコムが、新入りいじめに耐え抜き独房からやっと出て来て久しぶりにシャワーを浴びるシーン。やっと真っ暗な独房から出てきて一番に行うのが縮毛矯正なのである。その様子を見ていた囚人仲間で熱心なイスラム教徒のべインズに「白人のように髪を真っ直ぐして、情けなくないのか」と一喝される。この出来事を契機に彼の人生は大きく転換することになる。『マルコムX』という映画の前半において表象されるマルコム・リトルは、このように縮れ毛を「白人のようにストレートにすること」という価値観にとらわれた青年として描かれている。

このアフリカン・アメリカンの「コントロール不能で厄介な縮れ毛」をストレートヘア矯正することへの熱意は、〈白人のように美しい〉という価値観と強固に結びつく。頭皮が燃えるように痛む強い薬液を頭に塗り、我慢に我慢を重ね、彼らは〈美しさ〉を求めるのである。映画では、彼らがこの価値観を無批判に受け入れてきたことを文化的植民地主義として表象し、刑務所で学びの機会を得たマルコムはこの精神的な飼い慣らし状態を自省し、刑務所内の床屋でその髪を短く刈り込むことにするのである。

1960年代以降の黒人公民権運動の興隆と共に、ありのままのアフロヘアは美しいものとして受け入れられるようになる。アフロヘアの活動家にはアンジェラ・デイヴィスなどもいる。しかし、現在でもストレートヘアこそが美しさのしるしであるとするオブセッションは廃れてはいない。例えば、この女性誌ELLEに掲載されたロレアルの広告の写真にも作られた美しさへのオブセッションを看取できる。この広告のビヨンセの肌はフォトショップで白く加工され、髪も輝くツルツルのストレートヘアなのだ。

コメディ俳優のクリスロックが制作した『Good Hair』という映画は、アメリカの美容業界とアフリカン・アメリカン女性の搾取的構造関係を理解するのに良い作品。

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アメリカのヘアケアグッズの8割以上はアフリカン・アメリカン女性が購入するのだという。ストレートヘアにエクステンション、編み込みなど、どれをとってもお金が掛るヘアケアが〈美しさ〉という価値観と結びつき、〈洗練された女性〉のたしなみとなる。そういえば、ネブラスカ時代の友人でブルンジ出身の難民女性は、ブルンジからの出国をサポートした教会の信者によるカンパで200ドルを給付されたが、それを全部使って編み込み(cornrow braids)をしたことに信者たちが激怒して返金するようにと怒られていたっけなあ。
cornrow braidsとはこんな髪型

アフリカン・アメリカンの映画では、バーバーやビューティーショップが頻繁に登場する。『マルコムX』でも冒頭のシーンは髪を切るために床屋に来たわけではなさそうな年寄り連中が登場するし、クイーン・ラティファ主演の『ビューティー・ショップ』という映画でも美容室には弁当売りが来て店内は食堂のようにもなるし、無駄話が展開される喫茶店のようにも変化してたっけ。

実際、髪にこれだけのエネルギーを費やすアフリカン・アメリカンにとって、バーバーやビューティーショップで過ごす時間は相当な物なのだろうから、これらの場所が重要な情報交換の場であり、社交場にもなるのは当然のことだと思う。私自身、アメリカの片田舎でアニーのようなボリュームパーマをかけて欲しいとお願いしたら「真っ直ぐなのにいいの?」と言われたことがあるし、マレーシアのマレー系ビューティーショップで縮毛矯正施術を受けて大変なことになった苦い記憶があるけれど、あれもまた面白い経験だったと今は思う。いつか機会に恵まれたら、ビューティーショップをフィールドワークしたいなあ。