巴金の『家』を読む

巴金の『家』を読んだ。

家 上 (岩波文庫 赤 28-1)

家 上 (岩波文庫 赤 28-1)

『家』は、巴金の自伝的小説らしいのだが、淡々と大晦日や正月の儀礼の様子や日常が描写されているので、1919年の資産階級の大家族の民族誌として読んでも結構面白いと思う。
例えば、この時代、子どもの養育は乳母がするものという規範が一般的だったようだ。が、主人公の兄は、子どもを溺愛し妻に授乳をさせ、乳母を雇うことはしなかった。その行為は人に噂され、陰口が叩かれることも耐えなければならないほど「常識はずれ」のものだった。

この子を熱愛するために、乳母を雇って乳をやる気がせず、妻に自分で育てさせたが、さいわいに妻の乳は十分に出た。こうしたことは、この紳士の家庭でははじめてのことだったので、何とか人の口はうるさかったが、彼はそれを忍んで、この子の幸福のためにこうするのだと、自分で固く信じていた。(52)

また、思った以上に母方親族や婚出した姉妹の子どもとの日常的交流がある点も面白い。主人公の三兄弟は、母方イトコ(表妹)と許されぬ恋をして、また父の妹の娘と共に最先端の思想を語り合ったりする。婚出した後も生家との頻繁な往来は絶えない。やっぱりそういうものなのだ。

晦日の拝神の様子

 祭主は克明である。高老太爺が自分がもうたたいそう年をとっているという理由で、息子にこの仕事を譲ったからで、自分はいっさいの準備ができてから出て来て先祖に拝礼を行い、それから子や孫からの拝賀を受けるのである。長い上衣に馬褂をつけた礼服姿の克明と、彼の四弟克安は、おのおの酒壺をさげて小さい杯の中に紹興酒を注ぐ。そして香炉に香も焚く。それから克明が部屋へ老太爺を迎えに行く。
 老太爺が出て来ると、堂屋の中はシーンと静まり返って、誰一人談笑する者もいない。克明が連発花火を命じる。下僕の蘇福がかしこまって急いで出て行き、大きく開いた中門の前で「花火を上げろ」と怒鳴る。火光一閃、連発花火が雷鳴のように轟わたる。女たちは側面から身を避けて外へ出る。男たちは供え物の卓の傍にいって立つ。老太爺から先に、外に向かって叩頭がはじまる。天地を拝する礼である。つづいて克明三兄弟が一列になって叩頭する。このとき覚新は香を炊き、外から竈の紙を迎え入れて厨房ヘ送ってから、ちょうど堂屋にひき返して来て、覚民、覚慧、覚英、覚群の五人の弟を一列に引率して拝礼する。そしてみな身をひるがえして内側に向かって立つと、外でこの有様を見ていた女たちがいそいではいって来る。
 やはり老太爺から先祖に対する叩頭がはじまる。老太爺が叩頭してはいってゆくと、つづいて大太太周氏、次は克明、さらにつづいて三太太張氏、こうして順々に、呉太太沈氏のあとが陳姨太と、これらの人々は悠揚迫らず叩頭し、半時間以上が空費される。それから覚新の世代の番になる。覚新が五人の弟を引率して叩頭する。彼らはもっとも多く、九回頭を下げなければならない。こうした拝礼は年一回なので、みんな慣れていない。それで一せいにそろってひざまずいたり、立ち上がったりすることはむずかしい。動作がやや緩慢な覚群と覚世はやっとひざまずいて三回叩頭せぬうちに、他の者は立ち上がる。そこで彼らはあわてて立つと他の者はもうひざまずいているという有様で、傍に立っている者がくすくす笑う。彼らの母四太太王氏は傍で絶えず彼らをうながす。こうした笑いの中に九個の頭が早々に叩頭を済ましたが、こうした若い連中のは、長輩の叩頭とは同じにはいかなかった。つづいて瑞珏がまた淑英、淑華、淑貞三姉妹を引率して紅い絨毯のところへいって拝礼する。彼女たちの動作はゆっくりだったが、比較的そろっていた。それが終わると瑞珏はまた海臣を連れて紅い絨毯のところで叩頭の礼をした。
 そこで下僕たちが拝礼用の敷物をとり除き、紅い絨毯だけしくと、克明がまた老太爺を請じ入れて、克明の世代の男女が彼を囲んでひざまずいて叩頭しその安泰を祈る。それから覚の字のつく世代と淑の字のつく世代の、つまり孫たちの拝賀を受ける。彼は満面笑顔で礼を受けてから自分の部屋へ帰ってゆく。
 老太爺が去ると、堂屋はまたにぎやかになる。克の字のつく世代が、周氏に導かれて半円になり、紅い絨毯の上でお互いに拝賀し合う。覚の字のつく世代と、淑の字のつく世代は分散して、別々に自分の父母、あるいは伯叔父母に向かって拝賀を行う。最後に周氏の提議で彼らは環になって拝礼し合い、お祝いの言葉をかわすが、これは決して祝賀ではなく、冗談も交じってしまう。こうした礼拝ののち、若い者たちはそれぞれ散ってゆくが、覚新夫婦だけはとどまって、長輩たちといっしょに、召使たちの拝賀をうけなければならない。(157-159)